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二人展 「破片森林」
新年あけましておめでとうございます。
本日からギャラリーは営業をはじめております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2021年最初の展覧会についてご紹介いたします。
まずはギャラリー展示より
【二人展「破片森林」】
会期:2021年1月5日(火)〜1月10日(日)
時間:12:00〜19:00(最終日は17:00迄)
会場:メインギャラリー
二人の作家 WEIYI、小暮俊彦による展覧会です。
WEIさんは1年程前から制作していた絵画作品(アクリル、ペン、ボンドを使用)を展示、小暮さんは5年程前から撮りためていた写真を一堂に展示します。
※WEIさんは会期中在廊予定です。ぜひご高覧ください。
〈韋 芸 / WEIYI〉
1992中国湖南省長沙市生まれ
2018 嵯峨美術大学芸術研究科デザイン分野イラストレーション領域修了
・グループ展
2016 第45回嵯峨美術大学进级制作展(京都市美術馆)
2018 第46回嵯峨美術大学制作展 出品「山海経」
2019「AWHA」4人展(ギャラリーダンビートル)
2019「是物非物」2人展(ギャラリーアン)
〈小暮俊彦/ Kogure toshihiko〉
1991 群馬県伊勢崎市生まれ
2014龍谷大学経済学部国際経済学科修了
・グループ展
2013 龍谷大学写真部有志展(第1回FTP展)(ギャラリーコラージュ)
2014 龍谷大学写真部77代卒業生展(同時代ギャラリー)
2016第3回FTP展(2人展)ラジオのように(ギャラリーコラージュ)
以下、会場挨拶文より引用させていただきます
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無意識に考えているものや遠くなっていく記憶。そのかけら達は、なぜ頭の中に勝手に浮かんできたり、消えていったりするのだろう。物事を考えている有意識の中、自分でも気づいていない時間がある。そういった「脳に盗まれた時間」はもしかしたら「心」に一番近いかもしれない。
人間の想像世界は夢のように、ある意味では、人間の欲望を満足させるために存在している、文字にすると心の奥に隠された考えが、人にわからない形で表現できる。
しかし、頭の中にある深い意識は自分以外の人には見せられない、目で見えないものもシェアできない。意識というものは自分しか見えないごく主観的なものである。
物語を絵にするのは学校で学んだ課題だった。しかし、その時の自分の感情はあまり表現出来なかった気がする。物語を意識的に表現するのは自分の意識を加工することと同じく感じた。
目で見えないだけど、実に存在している意識を絵にしたいと思った。
意識の本質や意識の無秩序など特徴を表現するには、脳が生み出す意識のそのままの切片をより直感的に表現したい。その切片は私が理解している「心象」である。
人間は表現するメディアとして様々な謎があり、脳を通して現実世界を自由に動かすこともでき、主観と客観、現実と虚無、すべては現在の世界を成り立つには不可欠な一部となっている。人が人であるのは、意識が自然の法則以上に基づいているからだと思う。すなわち、心は自由である。
意識と現実の関係や意識が生み出す原因、脳の働き方や仕組み、夢が生まれたことなどの問題を考えると、記憶は意識の大事な一部だと思う。
記憶と夢、そして潜在意識とも切り離せない。もし夢が自己満足のために存在するということなら、その記憶は体験をより真実化し、連想させる資料と基礎として、人の意識をより説得的にさせるものと考えている。
私は意識と記憶の森に巡り廻って、また何か新たなものが得られるでしょう。
(WEIYI)
I PHOTOGRAPHY
すべての人間の行為は、日付と場所からは自由ではない。
実際に、行為というのは肉体が日付と場所を仲介された場合によって証明されるのです。
しかし、すべては私の行為はどんな形であれ、写真行為へと仲介され『I PHOTOGRAPHY』へと繋がっていくのです。
今回の展示において、私がカメラで集めた写真群を埋め尽くす事で、私の写真行為とは何であるのかを自覚する。
それは表現するべきものは何もない。強迫的観念によって支配された思考のもと続けていく事。その一点に尽きる。
私がカメラで集めた写真群、それを今振り返ってみると、どうしても小さなころの記憶、なりたかった夢を思い出す。
その記憶らしきもの、夢らしきもの、その一部分が協調されて、今の僕の記憶を作り上げていくのです。写真行為によって自分の記憶を作り上げていくのです。
(小暮俊彦)